お天道様は見ている
- 日経 大機小機 2015/9/11付
日本人は順法意識よりも社会批判を重んじる。近頃の不祥事を見ても、組織が社会批判を浴びると慌てて沈静化を図るが、形式的な個人の違反と結論付け、組織責任を免れようとする。原因究明や徹底的な風土改革までは踏み込まず、批判が収まるとまた同じようなことを繰り返す。
東芝では大規模かつ組織的な不適切会計を行っていたにもかかわらず、長期にわたり問題が発覚しなかった。ある程度の決算数値の操作はかまわないという誤解が、組織全体にまん延していたのではないか。
東京オリンピックのエンブレムの著作権問題を巡る騒動も、理研のSTAP細胞騒動も本質的には同じ。素人目には盗用と思える無断引用、数値やデータの改ざん。ばれなければ多少は許されるとの慣行がどの業界にもあるのではないか。
日本の証券市場では上場企業の決算にかかる情報が事前に関係者に伝わり、決算発表時には株価に反映済みのこともしばしば。インサイダー取引として罰せられるべき情報漏洩が黙認されている。経済社会全体に悪しき慣行が横たわっていると指摘せざるを得ない。
日本の社会には、多少のルール違反は許されるという慣行がいまだ多い。とりわけ、業界ごとに存在する暗黙のルールへの批判に対しては、業界を挙げて抵抗する。批判の声が大きくなって初めて改善に動くが、そこに自己規律はない。
ルース・ベネディクトは著書「菊と刀」で、西欧は宗教的倫理観に基づき自律的に善悪を判断する「罪の文化」であるのに対し、日本は内面的な倫理観ではなく他人の目が判断基準となる「恥の文化」だと指摘した。見られていなければ、悪事を働くことに抵抗が薄いという日本人論だ。とすると日本人の順法意識ではルールの整備や体制強化では効果がない。日常的に人の目を意識し、緊張感を保てる「お天道様は見ている」体制こそが最も効果的なガバナンスと思われる。
社外役員などの議論も大切だが、組織の長にとって最良の「お天道様」は日常的に異論を突き付ける部下で、いわゆる番頭の存在だ。異論と向き合う風土づくりにはダイバーシティ(多様性)が欠かせない。イエスマンではない右腕を配することができるかが企業のガバナンスの在り方を左右する。
(小五郎)
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